死という絶対のゴールの時に、何を感じるかが重要

スポンサーリンク
考え方
スポンサーリンク

実学ではないですけど、最近、仏教やキリスト教などの宗教を勉強したいなーと思ってます。

 

おいおい、暗いし、宗教の話なんて気持ち悪りぃな。と感じる方は多いと思いますが、僕は死について考えることは大事なことだと思っています。あっでも信仰心はあまりないです(笑)

 

僕は3歳の時から死についてすごい興味というか恐怖を覚えて、夜中によく泣きじゃくっていました。

 

21才の才の時におじいちゃんが亡くなって、「あっ人って絶対に死ぬんだ。」ということを身近に感じてしまって、「なんで自分は生きているんだろ?」「何のために生きたらいいんだろ?」と夜中中考えていたことを覚えています。

 

世の中って忙しいから、ついつい仕事のタスクや、目先の枝葉ばかりに目がいってしまいます。また人からどう思われているか。人に怒られないようにとか、迷惑をかけないようにとか。を気にしすぎている。

 

もちろん最低限の思いやりとマナーは必要ですが、それに縛られすぎて自分を出せないのも本末転倒です。

 

本当に大事なことは、自分が死ぬ時に充足感を感じていることだと思っています。

 

自分が本当にやりたいことがあるのなら、世間の目や世の中の常識に捕らわれないで、やりたいことをやる方が有意義なんでしょうね。

 

そういった人々の普遍的な悩みを、解決するために宗教は参考になるところも多いと思います。死はいつも人々の恐怖の対象ですもんね。

 

ただ宗教には、一部とんでもエピソードや論理があります。

 

仏教でいうたら、ブッダが生まれてすぐに右手を天に、左手を地に差して「天上天下、唯我独尊。」と唱えたとか。

 

キリスト教でいうたら、イエスは石ころをパンに変えたとか。

 

こういうエピソードを信じる信じないは自由ですが、個人的には宗教はエッセンスを学ぶことが大事だと思います。

 

僕もこれから何冊か本を読んでみますー(^_^)ノ